ケース2



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【自己紹介をお願いします】

広島県出身。高校を卒業と同時に上京し、以来、都会の暮らしに水を得た魚のようになる。
好きなこと:料理、夜更かし、映画鑑賞
モットー:「成るようにする」「不可能はあきらめた時点に」
尊敬する人:宇野千代、明石家さんま

【現在、どういう仕事をしていますか?】

2010年より、キャリアカウンセリング・企業コンサルの仕事を中心にフリーで活動中。得意分野は女性、若年層支援。

【今の仕事に必要なスキルはなんですか?】

コミュニケーション力、柔軟性、楽観性、流行への興味・アンテナの高さ、偏見を持たない、折衝力、忍耐力他

【あなたのキャリアについて7つの質問】

①あなたにとって「働く」とは?
社会とのつながりと生きていく糧。能力が活かせるなら特にジャンルは問わない。

②キャリア開発をする上で重要と思われている要素を3つ教えてください
できることを一生懸命やる。叶いそうな目標を常に持つ。こだわりとあきらめの均衡。

③今の貴方が、働き始めたばかりの昔の貴方に一番伝えたいことは?
受け入れなさい。縁は異なもの味なもの。

④キャリアの転機になったエピソードを教えてください
未経験で飛び込んだ「広告制作進行」の仕事。そこで結果を残せたことで、その後のキャリアチェンジに怯れず挑戦できた。

⑤失敗したことを一つ紹介してください。その時はどうやって解決しましたか?
上記、広告制作進行時代のこと。私の仕切りで、海外から外国人モデルを呼び有名カメラマンのスケジュールを押さえ、採石場で朝日の撮影のために現地前泊。当日朝になって衣装一式を会社に置き忘れて来たことに気づき蒼白に。ロケを夕刻に切り替え、方々に手を尽くしてなんとか衣装を間に合わせた。結果、夕日をバックに撮影は大成功。この経験により、最善を尽くすことの大切さ。いかなる時でもあきらめず沈着冷静に行動することで、ピンチをチャンスに変えられることを学んだ。

⑥仕事とプライベートの配分はどうしていますか?
仕事中心の時期もあったが、現在は、仕事:4 プライベート:6。夫は私の仕事に理解があり家事にも積極的。休みがあえばできるだけ一緒に過ごすことにしている。

⑦仕事より大切なものは?
家庭。私にとっての仕事とは、家庭を豊かにし充実させるためのもの。

【私の仕事史】

◆ファーストキャリア◆

• 声優。高校3年次に、NHK杯全国放送コンテスト朗読部門全国大会出場。それをキッカケに声優を目指し上京。劇団の養成所に通う傍ら、ナイトクラブやキャバレーで歌手をしながら業界関係者を求めコネクションを作っていった。“プロダクションあずかり(見習い)”からスタートし、CMを中心としたプロの声優としてデビューするも4年あまりで引退。芸を極めることへの執着がないことと、芸能界という特殊な世界で生きていくのに自分は向いていないとつくづく思ったことが理由。

◆豊かな時代と華やかな仕事◆

• 声優を引退する際に、お世話になった方に挨拶に行った折「裏方をしないか」と誘われ、軽い気持ちで広告制作の世界へ。3ヶ月でプロダクションマネージャーの任に就く。広告費が潤沢に使われる時代で、激務ではあったが扱う仕事は大きく、面白かった。のちのキャリアステップに多大な影響を与える貴重な経験を積ませてもらった。

• プロマネの仕事の中でもキャスティングコーディネートに専門的に携わりたく、2年弱で転職。当時は、やる気さえあれば転職はいくらでも叶う時代であり年齢だった。ファッションショーや、TV番組へのキャスティングを通し、マネジメンと折衝のノウハウを学ぶ。やがて湾岸戦争勃発。バブル終焉の気配を感じる中、主婦に憧れ結婚を機に家庭に入る。30歳までに子供が欲しかった。

◆きびしい現実◆

• 子供に恵まれず社会復帰を決意する。まずはリハビリと考え、派遣会社に登録し週3回午後のみ損保会社で働く。非正規社員の職責に物足りなさを感じ就活に本腰をいれてみたが、バブル崩壊後の社会でこれまでの経歴が通用するはずもなく、とりあってくれる企業は皆無だった。自分が培ってきたことは意味のないものだったのかと深い絶望感を味わう。人生初めての大きな挫折。

• そんな折、近所の主婦仲間から「職業訓練校」の存在を知らされる。就職が叶わないなら学校へ行こう!という単純な発想で「電子計算機科」を選択。しかし、面接で「プログラマーは30歳で頭うちといわれています。趣味で学ぶのは構いませんが就職はまず無理なので」と念を押される。それでもやってみる気になっていた。どっちにしろ今のままでは就職できないのだ。資格を…というより、何かしら自分に自信をつけたかった。PCはまだ一般的に普及しておらず、ホストコンピューター制御の時代。学校に通いながら、某配送会社でオペレーターのアルバイトをし、タイピングの精度を上げたりも。人生で一番勉強した?

◆拾う神あり?◆

• 就活は主に【ハローワーク】を利用。2社から内定をもらったが、独立系IT企業で「グループ会社三社合併(700人)に伴う基幹部門の強化をしていく」 人事課の責任者というポジションに魅力を感じ決めた。が、現実には、同規模の会社の合併は烈しい派閥争いで管理の一元化どころではなかった。オーナー企業につき、予告解雇・降格は日常茶飯事。ゆえに管理職は常に戦々恐々。知らないところで自分も争いに巻き込まれ、途方に暮れる毎日。上司もあてにならない中、如何にして裁量権を得るかということばかり考える。

• 自分なりに少しずつ会長への信頼を築き、入社4年目にして社員数70名ほどの会社を任されることに。客先勤務の技術者には帰属意識がない。社員に愛社精神を持ってもらい退職を防止していくことが最大の課題だった。風通しの良い組織、先輩が後輩を育てる文化を作るのに心血を注ぐこと3年。やがて、入社3年で30%を超えていた離職率が5%以下になり、社員数が100人の大台へ乗った頃には、リーマンショック時も、社員一丸となって売上を維持できる強い会社へと変貌を遂げていた。それを機に、グループ初の女性役員に任命され、他2社を兼務することになる。

• 新しいことへの挑戦~成功は、周囲の嫉妬や偏見も煽る。すべては理解者や協力者があってこそ奮闘できたものだった。2年後、それまで二人三脚でやってきた役員の退任、孤軍の会社が新しい派閥に呑み込まれる方針になったこと、また、夫の仕事が忙しくなり家庭へのウエイトが増えてきたこと、諸々が重なる。一から仕切り直しになったところで、もういいのではないかと決別に至った。この場所ではやりきった感もあり迷いはなかった。自問し葛藤し慟哭し歓喜に震え、本当に心が鍛えられた10年だった。50歳を目前にセカンドキャリアへの挑戦は、最善の選択と考えた。

◆そして、今◆

• 企業のキャリアコンサル、セミナー、ワークショップ、大学のキャリアセンターで若年層の支援、個人カウンセリング等を中心に活動中。自己研鑽と人脈作りにいそしむ中、同年代の仲間から日々、愛と勇気をもらっている。

• 「たどりついたらこんな感じだった」というのが実感。自身の転職が平坦なものではなかったので、私は人にも職業にも一切偏見は持たない。そのことは、今の仕事に大いに役立っていると思う。とにかく、四の五の言ってないで “やってみる” ことだ。人も仕事も縁である。めぐりあいに感謝し、受容し、深く知ろうとすれば、おのずとその先の景色が見えてくる。思わぬめっけもんは、実はそんな中にあったりする。それが、次のステージのカギだったり。をを!まるでドラクエ。やりたいこととできることは、往々にして違うものである。勇者は。そして私も。