コラム 2



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9回 遠き春

 今春卒業予定の大学生の就職内定率(平成23年12月1日時点・厚生労働省発表)は、71.9%。1996年度の調査開始以来、過去2番目の低さ。現場では、さらに厳しい就職状況が続いているといわれています。内定が獲得できない学生は、いまどんな気持ちでいるのか。

 淑徳大学の同僚の先生から、メールが来ました。若者のキャリアについて意見交換してきた池之上美奈緒先生曰く、「最近の若者にとって、受験でも失恋でもなく、就活が人生最大の危機ですよね!?」

 積極的かつ真剣に就活に取り組んでいるが内定が取れていない四年生に会ってアドバイスをした後に、池之上先生は、四年生についての印象と世の中の不条理について述べています。
 「礼儀正しく、心やさしく、自律した、どこにでも自信を持って送り出せる好青年だと思っています。ビジュアル的にもとてもいいし・・・(笑い)こんな好青年を泣かせる時代がうとましい。学生たちには、世の中のせいにして逃げてはいけない、と話をしていますが、これは建前であって、本音は、こんな時期に就活せざるを得ない学生が、不公平で可哀そうすぎます。どこの企業に入ったのか?どんな仕事に就くのか?そんなことで、人生が決まるわけじゃない・・・。だからそんなにあわてなくてもいいんじゃない!?、と思う反面、苦労している学生たちを見ると、早く楽にしてあげたいと思います。」
 しかし、1月に入っても、この学生は、まだ内定が取れていない。

 最近、散歩にでると、1975年に発売以来、500万枚以上のレコード・CDを売った「およげ!たいやきくん」を口ずさんでいることが多くなりました。

「まいにちまいにちぼくらはてっぱんの
 うえでやかれていやになっちゃうよ
 あるあさぼくはみせのおじさんと
 けんかしてうみににげこんだのさ」

 会社勤めをしているサラリーマンだけでなく、卒業をまじかに控えている就職活動を続けている四年生も、タイヤキ君の気持ちが手に取るように分かることでしょう。

 どうしたら学生たちに挫折を克服する強さ、力を与えることができるのだろうか。
 アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓十五の君へ~」という曲をモチーフにして、キャリア・デザインの授業を履修している学生に、未来の自分自身との対話に取り組んでもらいました。

「拝啓 この手紙を読んでいるあなたはどこで何をしているのだろう
 十五のぼくには誰にも話せない悩みの種があるのです
 未来の自分に宛てて書く手紙なら
 きっと素直に打ち明けされるだろう

 今負けそうで泣きそうで消えてしまいそうな僕は
 誰の言葉を信じて歩けばいいの?
 ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れ
 苦しい中で今を生きている
 今を生きている

 拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです。
 自分とは何でどこへ向かうべきか問い続ければ見えてくる

 荒れた青春の海は厳しいけれど
 明日の岸辺へと夢の舟よ進め

 今 負けないで泣かないで消えてしまいそうな時は
 自分の声を信じて歩けばいいの
 大人の僕も傷ついて眠れない夜があるけど
 苦しくて甘い今を生きている

 人生のすべてに意味があるから恐れずにあなたの夢を育てて行こう

 Keep on believing

 負けそうで泣きそうで消えてしまいそうな僕は
 誰の言葉を信じ歩けばいいの?
 ああ負けないで泣かないで消えてしまいそうな時は
 自分の声を信じて歩けばいいの

 いつの時代も悲しみを避けて通れないけど
 笑顔を見せて今を生きて行こう
 今を生きていこう

 拝啓 この手紙を読んでいるあなたが幸せな事を願います」

 歌詞を朗読してから、「十五」を「二十二」に置き換えて、学生たちは、「手紙~拝啓二十二の君へ~」という自らに宛てた手紙を綴りました。その中の一人の学生は、自分の未来を下記のように描きました。


「二十二の君へ」

 二年後の私は、自分のやりたいことを仕事にしていますか?
 二十歳の私は将来アパレル関係の仕事をしてみたいと思っています。なぜなら高校生の時からやってみたい仕事であったし、自分で選んだ商品をお客様に選んでくれたら楽しいだろうなと思っています。

 そのために現在洋服屋の販売員として雇ってくれるとお店を探していますが、なかなか大学生を雇ってくれるところはありません。時間の都合であったら、学生不可のところがほとんどです。だから大学を辞めるという考えを何度もしました。気の合う友人もいない、授業環境は整っていない。なぜ不満を持って高い学費を払ってまで行く価値が有るのか。単に「大卒」という資格を取るために通っているのかと。
 しかし、それは自分に対しての言い訳かと思ってきました。周りを見るだけで、自分と真剣に向き合っていなかった。多少、病気のせいにしていたのではないか。だから、自分自信で行動し、様々なこと知識を得ようとしています。それは将来の自分にとって大切なことだと思うけれど、まずは目の前の人生を充実していくことが最も重要だと考えるからです。

 また、子供たちと触れ合う機会が多い仕事もいいなと思っています。それは、今私が一番力を入れているサッカーコーチの経験からそう実感しました。部活動を教えられる精製や、子供達と直接触れることの職業などです。目標が漠然としているため、やることは多くあります。サッカー指導の資格、教員免許、また、視野を広げて英語を習得し、海外のサッカーを見てくることなど。

 正直、何から手をつけていいのか、わかりません。しかし、夢だけ持って、それに対してのリスクや不安を考えてやらないということはしたくない。だから、私は今を大切にし、大学では先生たち、いわゆる「人生の先輩の話」から、何か1つでも多くのことを学び中学では自分の仕事をこなす。そこで子供たちの純粋な考え方を自分の刺激にし、将来に向けて準備を行う。そのようなサイクルを作りながら、「今」この時を大切にしていきたい。(SM)


 大人のあなた、大人のわたし、確かに傷ついて眠れない夜があるけど、苦しくて甘い今を生きています。大学生も、傷ついて眠れない夜があるでしょう。苦しくても今を生き抜いて欲しい!

(2012年1月18日掲載)

8回 カオスの時代だ、備えよ

 1979年にニューヨークで見た一枚の写真が、強烈な印象を残し、頭に焼き付いた。地元のニューヨーク・タイムズ紙が日曜日に発行する雑誌の中で見つけた写真は、20代の若者のグループが、一日中、何もすることが無く、アパートの前でたむろしている姿を映していた。若者達は、仕事を持たず、お金もなく、行くところもなく、ただ座り続けていた。若者の目に輝きはなかった。

 「日本と全く違う世界。別世界だ!」と心の中で呟いた記憶がある。日本の若者が、マンションや家の前で、一日中何もすることがなくぶらぶらしている姿を頭に思い浮かべることはなかった。しかし、日本は違う、これからも仕事を見つけることが出来なくて、街路でたむろする若者は増えないと、自信を持って言い切れるだろうか。実は、心配の種はある。心配の種が大きくなってきている。

 日本の完全失業率は、4.3%。米国は、9・1%。半分以下である。しかし、15歳から24歳の完全失業率は、7.9%。今春の大学卒業者のうち就職も進学もしなかったのは8万人を超える。アルバイトで凌いでいる人を含めると定職に就いていない人は10万人に達する。

 高い失業率は、一時的な現象なのか。これから4,5年先を見た時、若者の失業率は下がるのか。それとも、失業率はさらに上がるのか。

 日本企業の動きを見ると、楽観できる材料は皆無に等しい。それどころか、悲観的な材料が次から次へと出て来る。過去1年(特に、円高傾向が顕著になった過去数カ月)の動きを追うと、「産業の空洞化」という言葉がマスメディアに再登場している。しかし、1980年半ばのドル安円高の時に製造業から悲鳴があがった「産業の空洞化」と今回の「産業の空洞化」は、意味が大きく異なるように思える。今回の「産業空洞化」は、製造業の空洞化だけでなく、小売業を含む幅広い産業の空洞化である。更に、産業の空洞化は、日本国内の雇用機会の減少のみならず、企業の求める人材の「グローバル化」を伴う「雇用の空洞化」を意味するのではないかという懸念が広がる。

 新聞報道で、製造業の動きを最初に見よう。

□ パナソニック
2011年春採用の内定者のうち80%を外国人とし、国内採用は40%減らす。
携帯電話やパソコンなどに使う民生用リチウムイオン電池の国内工場を再編する。2012年度末までに半分の4か所に集約し、住之江工場(大阪市)で予定していた増産投資は中止。今後、国内の大型投資は見送り、中国での生産を拡大。3,4年後をめどに1割~2割にとどまる中国でも生産比率を5割程度に高める。製造コストを引き下げ、サムスンググループなど韓国勢に対抗する。

□ IHI
韓国有力大学で毎年就職説明会を開き、韓国人を採用。管理職予備軍にインドの大学で英語研修を実施。

□ 日立製作所
2012年春入社組から事務系全員を、海外赴任前提で採用。留学生の採用も、12年入社から全新卒の10%目標に。

□ コニカ・ミノルタホールディング
連結売上高の約7割は海外が占めており、グループを含む3万6千人の従業員のうち、外国人が3分の2を占めている。海外には、生産、開発、販売など約40か所の拠点があり、欧米やアジア地域が仕事の主戦場になっている。
13年度には日本本社では、国籍や性別に関係なく、より多様な人材が力を発揮している姿を描いている。そのために採用面でも、日本の学生を対象にした従来の活動に加え、事務系・技術系とも採用人数の約3割を目標に「グローバル採用」を実施中。グローバル採用とは海外にいる日本人留学生や日本にいる外国製の留学生、海外にいる外国籍の人らにも門戸を開き、米国や中国などでも採用活動をしている。
英語能力テスト「TOEIC」の受講を促進するなど、英語の勉強も強化している。600点以上の点数を課長以上の管理職任用基準を設けた。来春入社予定の社員の平均点は、技術系が600点、事務系が800点でした。

□ ソニー
2013年を目途に新卒採用に占める外国人の割合を全体の30%に高める。

次に、製造業以外の業界がどのような動きをしているか見てみよう。

□ ローソン
2011年新卒者の約30%の20人を留学生で採用。
10月に中国の大連市に進出。現地の外食企業と設立した合弁会社が2016年末までに150~200店の出店を目指す。1996年に上海市に進出。重慶市と合わせ、約320点を出店。
日本の大手小売業としてはじめてインドに進出を決定。現地企業と合弁会社を設立する予定。12億人市場でのコンビニエンスストア展開を見据えて、インド政府は総合小売業への外資の出店規制を緩和する方針。

□ イオン
2011年度より、国境を越えて仕事をするグローバル人材を3年で約2500人採用。中国、ベトナムなど海外6カ国、計9都市で採用活動に乗り出す。
ベトナムの有力大学の一つ、ベトナム国家大学ホーチンミン市人文社会科学大学と学生の採用や教育に関する協定を結ぶ。同大学から毎年約20人の学生を採用するほか、年間60人の授業料を肩代わりする奨学金を設ける。2014年にベトナム1号店のショッピングセンターを開業する予定。

□ ファーストリティリング(ユニクロ)
2020年年度で連結売上高5兆円という目標達成に向け、事業戦略を発表。3年以内を途に海外でユニクロの店舗を年200~300店ペースで出店し、16年度以降、毎年5000億円以上の増収を目指す。これに伴い、年1500人規模の新卒採用の8割を外国人とするなど採用の現地化も加速する。アジア市場に軸足を置く戦略が一段と鮮明になる。

□ タカラトミー
2011年新卒入社から、中国で採用した社員を本社に配属予定。

□ 武田薬品
研究部門トップに外国人が就任。取締役会を英語で開く。TOEIC730点以上が新卒(2013年春入社)採用条件。

人材紹介会社も海外に拠点を展開しはじめている。

□ パソナ:今年、ソウル、ジャカルタ、ベトナムのホーチンミン(旧サイゴン)で人材紹介業を始める

□ リクルート:2011年11月に中国人大学生向けの採用イベントを北京、上海で開催。現地法人ではなく、日本本社採用が条件だった。大手企業も含め22社が参加。7000人もの中国人の応募があった。
大連など中国3か所で事務所を開設。ホーチミンにも進出。インドのバンガロールでも事務所を開いた。

□ テンプホールディング:特に増えているのは、韓国とインドネシアの求人。

□ インテリジェンス・中国でも求人熱は依然高い。求人数は、4月以降は毎月、前年比50%前後の伸びが続いている。

 紹介した企業の動きは、氷山の一角でしかない。円高、デフレ、人口減に苦しむ日本から、成長を求めて中国、アジアに進出する業界、企業は数限りない。逆に、海外展開を一切考えない業界、会社を探すことの方が極めて難しくなってきた。

 日本企業の新卒採用枠は、日本人だけでないことは明白である。日本で勉強している留学生、中国やベトナムで日本企業に関心のある大学生も、採用の対象になってきたことは議論の余地が無い。日本の大学生のライバルになる日も近い。

 そこで、企業が欲するグローバル人材とは、どのような能力、マインド・セット(心構え)、知識、資質を持った人材であるかを早急に分析し、育成することが大切ではないか。

 これからの10年は、これまでの前例、慣例、慣習が破壊されるカオス(混迷と混沌)の時代。「備えよ、若者は!」。

(2011年10月30日掲載)

第7回 CQ+PQ>IQ

 表題のCQ+PQ>IQ*は、「好奇心指数+熱意指数>知能指数」という「方程式」です。若者が成長する為には、知能よりの好奇心や熱意が重要という考え方です。発見する好奇心と勉強する熱意がある若者は、みずから学び、みずからやる気をかきたてる。そういう若者は、いつでも学ぶ方法を学ぶことができる。努力は大事だが、好奇心はもっと大事。好奇心の強い若者ほど一生懸命学ぼうと努力します。

 生まれつき高い好奇心と強い熱意を持った若者もいる。しかし、そうでない大多数の若者の場合には、学ぶことが好きになるように仕向けなければならない。

 どうすれば、学ぶことが好きになるように仕向けることができるか。ハムレット曰く、l「それが問題だ!」。

 現場(大学の教室)で、学生に好奇心と熱意を植え付けるために、広く「教材」を集めて好奇心と熱意というアンテナを外に向けて高く立てるように働きかけています。

 ふたつの考えが前提になっています。
1.多種多様な業界で活躍する人達から学ぶ(真似る)ー世阿弥は、真似ることこそ創造なり、と喝破しています。
2.ビジネスマン、政治家、教師、芸術家、美術家、NPOの活動家、すべての人達から人生のエッセンスを嗅ぎ取る(年齢、性別、国籍はいっさい問わず)。

 教材は、書籍、新聞、雑誌、インタネットから、好奇心をくすぐるネタを毎日漁ります。特に新聞は、ダイヤモンドのように輝く素材の宝庫です。

 一つの例が、創作家明川哲也氏の「やる気がでない」という表題の記事です。学生との対話の材料になりました。

 「やる気が出ない時はどうしたらやる気がやる気がでるようになるのか。それがわかっていたら、ボクは違う人生を歩んでいたと思う。朝から夜までやる気まんまんなので、年間十冊くらい売れる本を書いていたはずだし、展望台付きの家とかに住んでいたことだろう。お酒なんか飲まない。腹筋一日三百回。でも現実は、この一年も川原の石に腰かけて、アメンボの気持ちなどを考えていた。

 どうしたらやる気がでるのか。それを探るために自転車にまたがり、多摩川の上流から河口までを往復したことがある。ひどいまたずれになっただけである。翌日は筋肉痛で寝ていた。ただ、その時に発見があった。仕事へのやる気は相変わらず発見できなかったが、
 仕事以外の多摩川の散策ならやる気まんまん、やるまんになるという発見である。ああ、子供のころからそうだった。勉強、机、宿題。一度もやる気にならなかった。山、川、魚、クワガタムシ。やるまんだった。

 なんのことはない。向いていないものに自分を向けようするからやる気を探せないのだ。でも、心にも顔が付いていて、必ずやる気の出る方向を探している。それを具体化するのが人生だ。・・・

 人はみな、その人らしく生きるために生まれた、やる気はそのためにあるのであって、他の誰かを演じるためにあるのではないからだ。

 やる気が出ない人は、どうすればではなく、何ならばと問いかけを変えるべきだ。それも焦らず、散策や旅の中で探せばいい。」

 何ならばやる気がでるのか。自問自答する。子供のころに、時間を忘れて夢中になったことは何。わくわくして、興奮したことは何。大学を卒業したら何をやりたいのか。分からないと呟く学生は、子供の頃に、お母さんにいいかげんにしなさい、と叱られたこと。
 集中してのめり込み、母親の言葉をまったく聞こえなくなってしまったこと。どんな時、何をやっていのかを考えてみる。教室で、自問自答する。クラスメイトと一緒に話し合うことも役に立つ。JRが国鉄時代に、「ディスカバー・ジャパン(日本を発見しよう!)というコピーが一世を風靡。現代は、「ディスカバー・ユアセルフ(自分を発見しよう!というキャチフレーズが相応しいかもしれません。

 大学の関係者は、「答え」を探しています。どうしたら学生が仕事を見つけることができるのか。答えは何か。就職市場が厳しくなればなるほど、即効性のある、簡潔で完全な答えを探そうとする気配を感じます。

 2005年にスタンフォード大学の卒業式で、アップル・コンピュータのスティーブ・ジジョブズのスピーチから、古くて新しい教訓を汲みとるました。ご存知の方が多いと思いますが、ジョブズ氏は、大学を中退しています。

 「・・・最初の物語は、点をつなぐことに関係があります。私はリード・カレッジを六カ月でドロップアウトしました。退学するまでそれから十八カ月、籍もないのに講義を受けたりして、学校に残っていました・・・。世間のことがわかっていなくて、スタンフォードと同じぐらいお金がかかる大学にはいってしまい・・・。六か月たって、そんなお金を払う値打ちがないことに気が付きました。

 ドロップアウトすると、興味の無い必修科目は受けず、おもしろそうな講義だけに出ました・・・。好奇心や直観に従って出逢ったいろいろな物事が、あとで計り知れない価値を持つようになりました。例を一つ挙げましょう。

 当時のリード・カレッジは、アメリカ国内で最もすぐれたカリガラフィー(能書・書道)講座がありました。キャンパスのポスターや貼り札のひとつひとつが、美しい手書きの文字で描かれていたのです。カリグラフィーの授業を受けて、能筆になる方法を学びました。セリフ、サンセリフといった字体について学び、隣り合った字によって間隔を変えることや、タイポグラフィー(文字印刷の技術)のすばらしさを知りました。科学では捉えきれない美と歴史と芸術のような繊細さがあってとても魅力に感じました。

 こうしたことは、生活にじっさいに応用できると思えなかった。しかし、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計したとき、それがすべてよみがってきたんです。それをマックのデザインにすべて盛り込みました。マックは、美しいタイポグラフィーを備えた最初のコンピュータだったです。その講座を受けなかったら、マックは複数の活字書体や、スペースの均整のとれたフォントを持つことはなかったでしょう・・・。10年後に振り返ると、ものすごく賢いやり方だったことがわかりました。

 先を見越して点をつなぐことはできない。過去を振りかって初めてつなぐことができるのです。だから、いまは関係がないと思われている点同士が、将来つながると信じることです。なんでもいいから信じましょうー勘、運命、人生、カルマ、なんでもいい。」

 ジョブズ氏のスピーチは、ニューヨークタイムズのトーマス・フリードマン氏の著書「フラット化する世界―経済の大転換と人間の未来」で見つけました。フリードマン氏が、スピーチから学んだ教訓は、「教養の重要性」です。

 大学の教員の立場からは、学生が、スピーチから、「大学の教育に価値はない」、「必修科目に価値はない」という間違った教訓を汲み取らないで欲しいです(笑い)。

 私が学んだ教訓は、下記の通りです。

1.焦らない。
2.やっていることに何一つ無駄な事はない。
3.信じて前に進む(先を見越して点をつなぐことはできない。過去を振り返って初めてつなぐことができる)

 簡潔で、完全な答えはない。学生一人ひとりがタピストリーを紡ぎ出すかのように、時間をかけて答えを紡ぎ出すものなのかもしれません。教員やキャリアカウンセラーは傍にいて静かに寄り添い、聞き上手、質問上手な存在であって欲しい、と願っています。


*CQの「C」は、CuriosityのC(好奇心)。「Q」は、QuotientのQ(指数)。PQの「P」は、Passion(情熱。IQの「I」は、Intelligence(知能)です。

(2011年9月27日掲載)

6回 変化を抱きしめて

 時計の針は、1979年9月30日18時を指している。ニューヨークのコロンビア大学のジャーナリズムの建物の中にあるタイピング室に向かう青年がいた。タイピング室の中は、所狭しと手動式タイプライタが並んでいる。テーブルの上には、ボーロー(地区)毎の分厚い電話帳が積み上げてあった。

 青年は、パソコン(デスクトップ)やインターネットという言葉を聞いたことが無かった。勿論、ノート・パソコンや携帯電話も彼の語彙の中に存在しなかった。彼は無知だと責めることはできない。コンピューターは、強大企業のコンピューター部門のメインフレイムの時代であり、インターネットは、国防省の一握りの科学者しか知らなかった。

 パソコン、インターネット、携帯だけでなく、アイ・ポッド、アイ・フォーン、アイ・パッドという言葉も、世界のどの国に大辞典に掲載されていなかった。フェイスブック、ツイッター等のソーシャル・メデイアは、誰の夢の中にもでてこなかったはずだ。

 時計の針を、32年後の2011年7月8日に進めよう。コロンビア大学のキャンパスに行くと、大学生は、林檎のロゴが入ったアップル社のノート・パソコンを小脇に抱えて、アイ・ポッドで音楽を聴きながらキャンパス内を闊歩している。大学内の建物はすべてLANで結ばれている。大学生は、いつでもインターネットにアクセスして、世界中の情報を集めることができる。ファイスブックやツイッターに登録して、世界中の人達と瞬時に連絡を取り合い、情報や知識を共有することが出来る。

 変化、変化、変化。

 吾々の日常生活の中に溶け込んでいるコミュニケーション・デバイスを見ると、変化のスピードは目を瞠はるものがある。

 それぞれのデバイスが、5千万人の利用者に達するまでにかかった年数をみてみると、変化のスピードが加速していることが一目瞭然で分かります。

□ ラジオ→38年
□ TV→ 13年
□ インターネット→4年
□ アイ・ポッド→3年

 フェイスブックやツイッターは、これまでの常識を打ち壊す規模と速さで成長し続けています。

□ フェイスブック→1年以内に2億人の利用者
□ ツイッター→スタートしてから5年以内で、2億人の利用者

 今回のキャリア・デザインⅢの授業のテーマは、「変化」。21世紀の大学生は、変化から逃げることは出来ない。変化は容赦な津波のように押し寄せて、国家、企業社会、地域社会を包み込んで行きます。

 授業の冒頭に、「変化」という題のA4一枚の紙を学生に配る。

 「この不況でも成長している企業と衰退していく企業がある。人でも同じで、日に日に
成長している人と時代からどんどん取り残されていく人がいる。

 成長し、魅力ある人や企業は日々変化している。つまり勉強して、気づいて、新しいことに挑戦している。一方、従来の固定観念や常識の中で生きている人や企業がある。

 社会や取り巻く環境が変化して行く中で、変われない・変わらない事は死を意味する。
一番困るのは、意識や気持ちは変わっているが行動が伴わない人である。言葉では色々と言うが、やることは以前と同じである。一流と二流の中間の1.5流の人である。

 思うことや言う事は誰でもできるが、要は実践である。挑戦し実行すると失敗があるが、失敗を恐れないで実行して欲しい。失敗したらやり直せばいいし、失敗から学ぶことは非常に多い。

 全体から物事を見て、今何が大切か優先順位をつけて実行である。そして、社会(日本社会プラスグーロバル社会)やビジネスの環境を凝視して、従来と今の違いに気づき(つまり変化を知り)、勇気を持って変化する能力を身に付けて行くことが求められている。

 1年前、5年前、10年前とどこがどう変わったのかチェックしてみると良く分かる。
動物でも植物でも、自然界でも変化しなければ生き残れない。

 さて、貴方の変化する力は・・・?
 今からでも遅くはない。変化(成長)していこう。


(2011年8月24日掲載)


第5回 「機転」という魔法の杖

 今回と次回は、私のキャリア・デザインの授業を誌上で再現を試みます。

 「1989年の事です。磯田一郎氏(住友銀行相談役)は、樋口康太郎氏(アサヒビール社長)と一緒に訪ねて来た瀬戸雄三氏(アサヒビール副社長)に次のように切り出した。

 磯田氏: 「こんなうるさい社長の下で働くのは大変でしょう」
 瀬戸氏: 「はい。毎日にぎやかで活気と緊張があります」
 磯田氏: (大笑いしながら)「あんたうまいことおっしゃる」

 帰りの車中で、瀬戸副社長へ、樋口社長は云う、「うまいこというたな」

 瀬戸副社長は、磯田相談役に会ってしばらくして社長に昇格した。「磯田氏の私に対する
“面接試験”だった」と瀬戸氏は日経「私の履歴書」の中で回想する。

 上記の話を、二年生が受講するキャリア・デザインⅢで取り上げました。授業のキーワードは、「機転」です。学生に尋ねました。「瀬戸氏の磯田氏への返答をどう思いますか。
“機転”が利いた答えだと思いますか」(貴方の上司の前で、突然、大事なお客様が、「こんなうるさい社長の下で働くのは大変でしょう、と貴方に尋ねたら、貴方はどう答えますか」)

 学生が私の問いかけに対してどう答えようか、と考えている時に、「“機転”とはどんな意味ですか。“機転”の定義は何ですか」と追加の質問をしました。

 言葉の定義について質疑応答をした後、身近な例で「機転」について話をしました。

□ 機転
 H君と話をしようと思い、「時間はありますか?」と声を掛けたところ、H君は「○○の
用事がありまして、無理です・・・」との事。

 私は了解してその場を離れた。
 無理もない。私が突然、話をしようと声を掛けたので・・・。

 でも、もし私が大切な人から突然声を掛けられたらどうするだろうか?

 自分の予定(つまり自己主張)を言う前に、「何か御用ですか?」と相手の話を聞くと思う。チャンスは待ってくれないし、貯金もできないので・・・。

 そして自分の予定を可能な限り変更して相手とのチャンスを活かすだろう・・・、と思った。

 自己主張をする前に「機転を利かせて、チャンスをつくる」と様々な可能性が広がっていく。自己中心で生きていると、その辺は気づかないし、それで終わってしまう。相手はもう一度声を掛けようとは思わなくなってしまう。

 チョット自分の時間・予定を変更したり、チャンジする事によって道が拓けていく。

 仕事に人生にチョット「機転」を利かせてみると人間の幅と深みが広がっていく。
 人生は小差が大差である。

 「機転」の定義を確認しておこう。Yahooで「機転」を検索すると、大辞泉は下記のように定義しています。

 1. きーてん【機転/気転】
   その場に応じた、機敏な心の働かせ方。「-がきく」「-をきかす」

 日本国語大辞典の定義は、
 1. きーてん【機転/気転】
   心の働かせかた。また、物事に応じてとっさに心が働くこと。とっさにうまい考えがでるさま。
 2. きーてんが利く
   物事に応じてすぐに心が働く。物事に応じてとっさにその場にふさわしい行動をする。
   気がきく。

 「機転」とは、「その場に応じて、とっさにうまい考えがでてくる。或いはその場にふさわしい行動をする」という意味であることを、学生と確認する。就活中の「面接」でも機転が利くと合格するよ、と付け加える。

 ここで、グループディスカションを通じて、学生に「機転」について理解を深めてもらう。
彼らが取り組んで問題は次の通りです。

 「ニューヨークのウォール街で、リーマンショック後に、金融機関が社員を一名だけ採用することになったところ、二百名以上の応募があった。最後の面接試験で、つぎの問題がだされたが、合格したのは、一人だけだった。問題は機転を問うものだった。

 『夕刻になって、突然、激しい雨が降って来た。ある青年がスポーツカーを運転して、バス停にさしかかったところ、三人がズブ濡れになって立っていた。一人は老女で、しゃがみ込んでいた。体の具合が悪くなったといった。

 もう一人は、青年がもっとも大切にしている顧客だった。
 三人目は、青年がかねてから熱い思いを寄せている、素敵な女性だった。

 二人乗りのスポーツカーだから、一人しか乗せられない。誰を乗せるべきだろうか?
 車には、ビーチパラソルを一本載せている。』

 金融機関の採用担当者が求める「正解」を学生は出すことは出来ませんでした。しかし、学生は活発な議論を楽しみました。

 90分の授業はここで終わります。議論を出し尽くさずにチャイムが鳴りました。

 次週のキャリア・デザインの授業で、「振り返り」の時間を持ち、「機転が利いた」の実例が満載のコラム「球児の一投一打見つめて」を学生に紹介しました。

 1986年夏の甲子園。高知商業と享栄が対戦した3回戦。後にプロ野球で活躍する岡林洋一、近藤真一両投手が繰り広げた白熱の投手戦。一死1・2塁の場面。アナウンサーが解説者鍛冶舎巧(かじしゃ・たくみ)氏に突然尋ねた、「バッターは今何を考えていますか」。

 鍛冶舎氏は、(そんなこと分かるわけがないと思いつつも)、「こういう場面に打席に入って考えることは、最低限やらなければならないこと、絶対やってはいけないこと、最高の結果の3通り。私はいつも最高の結果を考えました」と答えました。

 初めての夏の決勝で解説をした時も、鍛冶舎氏はパプニングを経験します。試合が終わって閉会式も大詰めを迎えた所で、放送時間を「延ばせ」という指示が来た。アナウンサーは、「全国の高校球児に向かって何かありますか」と解説者に尋ねた。

 大会の話題をすべて出し尽くしてしまった鍛冶舎氏は逡巡した。その時鍛冶舎氏の頭に浮かんだのは、北海道では秋の地方大会が始まったという新聞記事。

 鍛冶舎氏は、「北海道では遥か選抜に向けて試合が始まっています。すでに負けたチームもあります。負けた球場がその球児にとって甲子園かもしれない。全国高校球児の皆さん、それぞれの甲子園、遥かなる甲子園に向かって頑張ってください。」、と締めました。

 2006年の夏の大会。準準決勝で智弁和歌山と帝京が対決。4-8と敗戦濃厚だった
帝京が九回表に8点取って大逆転。ところが、智弁和歌山が九回裏に5点とって再逆転。
13-12のサヨナラゲーム。

 アナウンサーは、鍛冶舎氏に「最後に帝京の選手に一言ありますか」と尋ねた

 鍛冶舎氏は、(夏の甲子園、3年生には後がないので、質問にはたと困りつつも、暗くなった空を見ながら)、「見上げれば空は曇っていますが、太陽が無くなったわけじゃない。帝京に選手には新たな太陽に向かって頑張ってほしいですね」と言った。

 「機転」は、見えない力です。どのように鍛えれば良いのか。どうしたら機転が利いた言葉がとっさに出てくるようになるのか、皆で智慧を集めて学生を助けたいと思います。

(2011年7月24日掲載)

4回 語感に耳をそばだてる

 喜ぶ、喜び、喜ばしい。喜色、歓喜、狂喜、驚喜、随喜、悦喜。感悦。喜悦、愉快。嬉しい。嬉しさ、嬉しみ。欣然、欣欣、欣欣然。満ち足りる、浮き立つ、悦に入る。欣快、欣喜雀躍。口元が綻ぶ、相好を崩す、目を細める。嬉し涙・・・といったような200近い「喜び」を表す語句が、中村明編纂の「感情表現辞典」の「語句篇」に列挙されています。

 これらの語句を、自由自在に使いこなせるお方は稀ではないかと推察します。見たこともない表現もひょっとすると多々あるのではないでしょうか?上記の語句の中には、読み方が分からず立ち往生するものもあるのではないかと思うほどです。

 最近、語彙を増やすだけでなく、語感を磨くことが若者に必要ではないかととみに思うようになりました。大学で学生にキャリア・デザインを教え始めてからです。人事採用担当者は、学生が提出するエントリーシートが面白くないと言い、キャリアカウンセラーは、「自分の言葉で」エントリーシートを書きなさいと指導しています。

 けれど、多くの学生は「書けない」「読めない」。どうしたらいいのでしょうか?明快な対策を提案したいのですが、学生が納得するような対策はなかなか出せないので苛々する自分が居ます。教員は、「本を読みなさい。新聞を読みなさい」と学生にしつこく勧めていますが、学生は読もうとしません。

 常日頃悩んでいたら、或る日、語感トレーニングが役に立つのではないかと閃きました。音楽に秀でる為には音感が大切。読ませる文章を書くには、鋭い語感が不可欠では、と仮説を立てました。学生に、日本語への関心を高める手段として使えるかも、と考え始めています。

 ここで、語感テストを、学生の代わりに受けてみてください。もし、語感が少々鈍いと結果が出たら、語感を磨くことに関心を持ってください。学生の多くは、語感が鈍くうまく書けないかもしれません。もし、語感が鋭いことが確認出来たら、自信を持って学生を指導していただきたいと思います。(正解は、末尾に記します)

Q1
以下の二つの文のうち、「経営者側」の発言と思われるのはどちらでしょうか。
① 従業員の皆さん、力をひとつあわせて、この難局打開にのぞみましょう。
② 労働者諸君、我々は、一致団結して、この難局打開にのぞもうではないか。

Q2
次の①~③について、それぞれア・イのどちらがよりふさわしいでしょうか。
「世の中不況できびしいような。①【ア 給料 イ 給与】も五年も前から全然上がらないし、がんばって貯金しても②【ア 利子 イ 利息】ときたらほんの雀の涙。③【ア 税 イ 税金】ばっかり高くなって、まったくやってられないよ」

Q3
次の四つの語のうち、正しい本来の形のものはどれでしょうか。
① 喧喧囂囂(けんけんごうごう)②喧喧諤諤(けんけんがくがく)③侃侃諤諤(かんかんがくがく④ 侃侃囂囂(かんかんごうごう)

Q4
次の文中では、それぞれア・イのどちらがよりふさわしいでしょうか。
① 学業を【ア 途中 イ 中途】であきらめ、就職することにした。
② 話をしている【ア 途中 イ 中途】で携帯が鳴った。
③ たしか彼は【ア 途中 イ 中途】採用で入社したはずだよ。

Q5
次の文章を、電話口で誤解なく伝えるには、傍線部分をどう発音すればよいでしょうか。
「地元の①市立中学にそのまま進学せず、②私立を受けるつもりです」

Q6
次の①~④に、ア~エの中からもっともふさわしい語をいれてください。
「①」 とは、他人からこうむった迷惑や被害をその相手に返すことをさし、会話でも文章でも使われるやや古風な漢語である。漢語だけに「②」よりは若干重く響くが、「③」ほど恨みがこもっておらず、「④」というほど大げさではない感じがある
ア 仕返し イ 返報 ウ 報復 エ 復讐

Q7
以下の①~③の空欄に、ア~ウの中からもっともニュアンスがふさわしい語を入れてください。
①この〈    〉にラブシーンを見せつけられちゃ、よけい暑くなるね。
②〈   〉のうちに仕事を片づけてしますことにしよう。
③ おやおや、〈    〉から酒盛りかい。暇なやつはのんびりできていいな。
ア 昼間 イ 真っ昼間 ウ 昼日中

Q8
レストランのメニューに①「ピッツァ」②「ピザ」とあったとき、どちらのほうが本格的だと感じますか?

Q9
たとえば、「暑い」に対する「暑苦しい」のように、次の語について、それぞれマイナスイメージを含んだ表現に言い換えてみてください。
① 厚い ②薄い ③狭い ④広い ⑤長い

Q10
次の①~④は、どれも「言う」という意味の言葉ですが、「言う」という行為をする人に対する話し手の遇し方が違っています。尊敬する気持ちが強く伝わる表現から順番に並べてください。
① 言う ②ほざく ③おっしゃる ④言われる

 話す時も書くときも、表現者は二つの別の方向から最適な言葉に迫ろうとします。何を伝えるかという意味内容の選択と、それをどんな感じて相手に届けるかという表現の選択を無意識のうちにしているのです。

 「教員」「教師」「教官」「教授」「教諭」「先生」「師匠」はどれも、ものを教える立場の人を指しますが、それぞれの語のさす対象や範囲にはずれがあります。細かく調べるとそれぞれの用法には違いがあり、日本人はその微妙な意味の差に応じて使い分けています。「親戚」「親族」「親類」「縁者」「身内」「身寄り」などには、はっきりとした意味の違いがほとんどありません。が、いつどれを使ってもいいわけではありません。場面や状況によってそれぞれ適不適があり、感じの違いがあります。日本人は、意味の微差だけでなく、そういう微妙な感覚の違いに応じた使い分けにも細かい神経をつかいます。


解答
Q1→①
Q2→一、ア、二、イ、三、イ
Q3→①(多くの人が騒ぐ声でやかましい意)、③(遠慮なく大いに論じる点
② は、①と③の混交語
Q4→①イ、②ア、③イ
Q5→①イチリツ、②ワタクシリツ
Q6→①イ、②ア、③エ、④ウ
Q7→①ウ、②ア、③イ
Q8→①
Q9→① 厚ぼったい、②薄っぺら(な)、③せせこましい、狭苦しい、④だだっ広い、
⑤長たらしい
Q10→③→④→①→②

(2011年6月23日)

3回 「空気を読まない」言語 vs.「空気を読む」言語

 「グル―バル人材」という言葉が、メディアを闊歩しています。グローバル人材の意味は、はなはだ曖昧ですが、グローバル人材と認知されるには、高い英語力を身に付けている事が必須能力要件のひとつであることは間違いないようです。

 高い英語力、すなわち、「使える英語」を身に付けていることを意味します。使える英語は、「相手の言いたいことのポイントをつかむ」「自分が言いたいことをはっきりと言う」力をつけることです。ここで大きな障害が立ちはだかっています。それは、我々の母国語、日本語です。

 私達が普段、話したり、書いたりしている日本語は実は、「言いたいこと」をはっきり言わない、はっきり書かないという厄介な特徴を持った言語です。学生たちに資料を配っていて足りないと、「先生、資料が足りません」とみんな言います。私は、時々ここで「残念ですね」と言うのですが、みんなきょとんとしています。

 なぜ、みんなきょとんとしたか?学生たちの日本語的発想の表現を(日本語で話しているのですから、当然ですが)、私が英語的発想の日本語的表現で返したからです。「先生、資料が足りません」という日本語が意味していること、言いたいことは「資料がないという」状況説明ではありません。「私の所に資料が回ってこない状況を察して、貴方は資料をくれますよね」という事です。

 語られていない部分が多いのですが、驚くべきことは「資料をください」という一番の核心部分が語られていないことです。考えてみるとすごいですね。日本人は、日常的に「言いたいこと」をはっきりと言わないで、お互いにコミュニケーションを取っているのです。教室が寒くとも暑くても学生は、「エアコンを弱めてください」「エアコンを強めてください」とは言いません。「先生、少し寒いです」とか、「先生、暑いです」と言います。

 日本語は言いたい核心部分は話さずに、その周辺、状況を説明することで、何を言いたいのか、何を欲しているのかという核心部分を相手に察知してもらうという言語、まさに、「空気を読む」ことを求められる言語なのです。核心部分を言わずに相手に推測してもらう言語を、「文脈依存の高い言語」、「ハイコンテクスト(high context)な言語」と言います。

 日本語は、文脈依存度の高い言語、ハイコンテクストな言語ですが、一方の英語は、文脈依存度の低い、ローコンテクスト(low context)な言語です。つまり、英語は「資料が足りません」ではなく、ずばり「資料をください」と言う言語です。「資料が足りません」と言われたらその状況に対して「残念ですね」と返すのが英語的表現です。さすがにこの状況なら英米人も文脈を読んで、追加の資料をくれると思いますが。英語は、行間を読んで推測するということが非常に少ない言語、日本語とは対照的な空気を読まない、「KY」(空気が読めない)な言語なのです。

 この違いが、往々にして私たちの英語を通じにくいもの、英語が母国語の人達にとって意味不明なものにしてしまうのです。日本人が、英語で話したり書いたりする時に、日本語に影響されて核心に触れず、核心の周囲の状況といった枝葉の部分ばかりを書いたり話したりしてしまいがちです。例えば、「パーティに不参加」ということを伝える英文メールで、パーティーに出席することが難しい様々な状況を(子供が風邪をひいたとか、水道管が壊れたとか)を長々と書き連ねてみたり、取引相手に「コスト削減要求」をするための英語のミーティングで、現場の厳しい状況」(諸物価の高騰やら開発部署の社内における難しい立場やら)をひたすら語ったりすることを日本人はしばしばやってきました。

 これに対して、英米人は「結局、この人はパーティに参加するのか?」とか「予算はあれでオッケーなのか?」と首をひねってきたことでしょう。

 ハイコンテクストな言語で育った人間が、ローコンテクストな言語でコミュニケーションをするときは、「物事の核心をずばり言う」ことが必要です。

例①

日本語 :「別に私は構わないんだけどね」
英語:  「大変に迷惑しています」

例②
日本語: 「そこを何とかお願いします」
英語:  「あなたの主張は確かに聴きましたが、私は認めない。よって私の要求を聞きなさい」

例③
日本語: 「(ビジネスで顧客に対して)難しいですね」
英語:  「これは難しすぎて不可能です」

 日頃何気なく使っている日本語の奥深さがわかって面白いです。私達がいかに、核心部分を言わないで、文脈に頼って気持ちを推測してもらっているのか、暗黙の了解に頼っているのか分かります。

 郷いれば、郷に従う。「When in Rome, do as the Romans do.」

(2011年5月31日)

2回 「白紙回答」を撲滅する道

 もし、大学生に「第18条を考えてみよう」と言ったら、どんな第18条が出てくるでしょうか?また、社会人に同じ命題を与えたら、どんな答えが返ってくるでしょうか?

 乙武洋匡さんは、小学校6年生の社会科の授業*で、聖徳太子が制定した「17条憲法」の要旨を第1条から第17条まで教えた後に、「じゃあ、教科書を閉じて。みんな、いまから聖徳太子になってみよう。この時代は、豪族たちが争っていて、聖徳太子はなんとか平和な時代にしたいと思っている。その為に必要だと思う『第18条』を自分で考えてみよう!」と生徒に伝えました。


*乙武洋匡さんは、2007年4月~2010年3月の3年間に亘り、
杉並区立第四小学校教諭として教壇に立った。
教諭としての体験は、「だいじょうぶ3組」(講談社)に描かれている。

 教室に戻り、乙武先生さんが子供たちのノートを見て回ると、「食べ物が余っていたら、分けてあげる」というほほ笑ましいものから「力のある豪族からは、より多くの税金を取る」という政治家顔負けの政策を打ち出す子まで、個性豊かな回答が並びました。しかし、乙武先生が最も注目したのは、何も書けずに、ノートが真っ白なままの子が半数近くいたことです。

 日本において学力低下が叫ばれるようになったのは、2003年に学力に関する2つの
国際調査結果が公表されてからです。

 1つは、IEA(国際教育到達度評価学会)が世界46カ国・地域の小学4年生と中学2年生にあたる学年を対象に行ったTIMSSと呼ばれるもの。これは算数(数学)と理解の教育到達度を測る試験が中心ですが、前回の調査(1999年)と比べた結果は次の通りです。

 小4・算数 3位→3位
 小4・理科 2位→3位
 中2・数学 5位→5位
 中2・理科 4位→4位

 TIMSSによる学力調査では、順位をひとつふたつ落しただけで、声高に学力低下を叫ぶほどではないように見えます。では、何が問題なのでしょうか?
問題は、OECD(経済協力開発機構)が世界41カ国・地域の15歳を対象に行ったPISAと呼ばれる学習到達度調査の結果です。PISAの試験は、国語、数学、理科と言った教科別に分かれていません。「読解力」、「数学的リテラシー」、「科学的リテラシー」、「問題別リテラシー」に分類されています。前回調査(2000年)と比した結果は、次の通りです。

 読解力  8位→14位
 数学的リテラシー 1位→6位
 科学的リテラシー 2位→2位
 問題解決能力(今回新設)4位

 読解力の問題は、公共のスペースにおける「落書き」を許容するか否か、2つの意見が
提示され、「貴方は、どちらの意見に賛成か。自分の言葉で説明せよ」です。日本人の正答率は、71.1%。他国と比しても、悪い数字ではありません。

 ところが注目しなければいけないのは「無回答」の割合である、15.2%。
各国の無回答の平均は、6.8%。日本人の無回答が目立ちます。この読解力の問題では、正解などありません。自分の意見を書きさえすれば良いのですが。

 ここで、「学力とは何か」について考えてみましょう。リークルート出身の元民間人中学校長、藤原和博氏は、学力を「情報処理力」と「情報編集力」の2つに分けるべきと主張しています。「情報処理力」とは、記憶に沢山詰め込んだ知識の中から、瞬時に「正解」を取りだす力。「情報編集力」は、自分が持つ知識・技術・経験のすべてを、ある状況の中で組み合わせて発揮する力を指します。

 21世紀に活躍する若者は、知識に頼る「処理力」だけでなく、組み合わせる「編集力」が必要不可欠であることに賛同される方は多いでしょう。社会に出れば、「正解の無い問題」にいくらでも、いつでも直面することは周知の事実です。実は、大学生は、社会に出る前に、冷水(正解のない質問)を浴びています。就活中に、応募した企業が出す質問は、正解がありません。応募した学生が自分の答えを出すことを求めています。

 では、「情報編集力」はどのようにして教えるのでしょう。情報編集力はどのようにして身に付けるのでしょうか?編集力を構成する能力を分析して、個別の能力を磨くことを目指すのでしょうか?他の方法はあるのでしょうか?

 私が提案をしたいのは、以下の2点です。
 ・ 一人ひとりが、「メンター型リーダ」に成長すること。
 ・ そして、人ひとりが、「メンター型リーダ」を育てること。

 メンター型のリーダとは、日本連合艦隊長官山本五十六が残した言葉「人が動かす」に、エッセンスが詰まっています。
「やって見せて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かず」

 人を動かすことができる人に、みんながなることが、情報編集能力を身に付ける近道ではないでしょうか。人を動かす人が、家庭で、幼稚園、小・中・高・大(或いは専門学校)、職場で、メンター型リーダ(人を動かす人)を育てることこそ、白紙の解答用紙を減らす(個別の能力を伸ばすこと)道、いや日本中を覆っている閉塞感を破る早道ではないか、と私は思うのです。

 「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
 「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

 キャリアカウンセラーから始めませんか。

(2011年4月30日)

1回 「孔子から学ぶキャリア・プランニング」

 3月11日、ミネソタ州ミネアポリスのラリーファンド(元上司)さんから、「ツヨシさん、大丈夫かい?東北地方はまるで戦場だね!」とメールが来ました。戦場で起こったことは、「人生は予測不可能であること」。そして、「キャリア・プランニングの大切」さも教えているように感じています。

 宮城県東松山市に住む木村翔(15)さんは、中学校の卒業式の日を父親と二人きりで迎えました。震災当日、母親、弟、妹と一緒に津波から逃げようとしたものの、彼だけ助かり東京に出かけていた父親と二人きりになってしまいました。小学校5年生の時から、仙台や東京の芸能事務所に所属して俳優の道を目指していた翔さんは、中学卒業後、芸能系コースで知られる東京の堀越高校に入学することを諦めて、地元の高校に行くことになりました。志望校への進学は断念したものの、翔さんは云います。「母が僕に残してくれた夢だから捨てられない。レッスンを続けて夢をかなえ、父を支えるようになりたい」と。

 岩手県大槌町の瀧野淳(15)さんは、卒業式の前日に自宅が流されて帰る場所がありません。淳さんは、「避難所には友人がたくさんいて心強いものの、春から高校生活がどうなるのか」と不安を拭えない状況です。淳さん曰く、「今回の震災でこの町に役に立つ仕事がしたいと強く思った。将来は警察官になりたい」と。

 東北・太平洋大震災は、一夜にして、翔さんや淳さんだけでなく、数多くの学生の将来を長く暗い影で包み込みました。彼らの人生はどうなるのでしょうか。彼らのキャリアはどうなるのか、不安が募ります。しかし、そんな時こそ彼らの見本になる人物が古代中国に居ます。それが、孔子様なのです。

 孔子は、紀元前551年から紀元前479年の74年間、数々の挫折にも負けず、苦難の道を歩みながらも、鉄の意志で自ら切り拓いたキャリアを見事に貫いた思想家です。後世の人達、21世紀にキャリアを切り拓いて行かねばならない若者にも、キャリアを拓く道標を「論語」の中に記しています。

 古代中国の都市国家「魯」(ろ)(現・山東省曲阜市)に生まれた孔子は、幼少の頃に両親を失い、貧賤の身から下級役人の職を得ています。「十有五にして学を志す」と「論語」に述べていますが、定まった先生について、正規の学問を学んだのではなくて、自ら耳学問を積んだ、というのが実情だったようです。

 孔子は貧乏の苦しみを知り、そこから脱すべく弛まない努力をした人です。「三十にして立つ」(三十は、三十代の意味する)-礼式の専門家を志し、「詩経」「書経」「礼記」等の古典を独習した彼は、自らの学問を実際の政治に活かそうと試みるが失敗します。「魯」では、桓公(かんこう)の三分家が実権を握っていました。孔子が支持していた昭公(しょうこう)は、権力を取り戻そうとして失敗して、隣国「斉(せい)」に亡命。この時、孔子は36歳。

 大いなる挫折感を味わった孔子は、国外に出ることになりましたが、「四十にして惑わず」
(四十は、四十代を意味する)-(彼の理想は遂げならなかったが、決意は揺らぐことはありませんでした。

 「五十にして天命を知る」(五十は、五十代を意味する)には、孔子の悟りと開き直った力強さが感じられます。失意の孔子は、それで詩書礼楽の修行をやめず、一方で弟子を養成しています。52歳で再び「魯」に仕え、定公(ていこう)の下で中都(ちゅうと)という町で、57歳で司法長官まで出世。動乱の時期に、「魯」に秩序を打ち立てて、模範的な国づくりをすることが、自らの天命だと考えたのかもしれません。しかし、武力をともなわない理想主義の政治は、現実の過酷さには勝てませんでした。孔子は失脚し、14年の流浪の旅に出ることになります。

 人間は、正しく生きようとすれば、「天」からの使命を帯びたような仕事に就くべきと考えます。仮に、「天」から認められるようにキャリアを選んでとしても、「天」は何ひとつ支援をしてくれない時もあります。使命を持っているからといって、その人に長寿やチャンスが必ずしも与えてくれるとはかぎらないのです。孔子は、74歳で亡くなっていますから、「天」長寿を与えています。しかし、長子の孔鯉(こうり)、高弟の顔回(がんかい)、子路(しろ)が先立っています。

 「天」には弛みない自然の運行があり、人間の吉凶禍福は、正しい行いをしようとしまいが、無関係。そのために、思いがけない困難に出会い、志なかばで挫折する人がいますし、新たな志をもとめざるをえない人もいます。東北太平洋地震・津波の被災者の方々は、孔子の教えに共感されるに違いありません。

 69歳にして「魯」に帰国した孔子は、教育と古典の編纂に専念する生活に入りました。
「六十にして耳順(したが)う」。六十代になったら、人の言葉が素直に耳に入り、「七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)をこえず」。七十代ともなると、自分の心のままにふるまっても、決して人間の道を踏み外すことは無くなります。

我十有五にして学に志し、
三十にして立ち、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知り、
六十にして耳順(したが(う。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)をこえず。

 3月11日前と後で、変わらないことと、変わったことがあります。変わらないことは、「キャリアを見つけ実現することの難しさ」。何をやりたいかを考え抜き、やりたいことを実現する場所を発見することは困難を極めます。会社という場所でキャリアを求める若者は、未曾有の就職難は続くと腹を括った方が良いのではないでしょうか。

 変わったことは、東北・太平洋大震災がもたらした未曾有の被害の影響で、会社が、採用人数を絞り込むだけでなく、学生に求める能力はさらに高くなることです。人生という長い線路で、難所で脱線せずに目的地に到着する為に、これまで以上に計画性、徹底的な達成意欲、勇気が求められることでしょう。

 若者には、長期間に亘って自ら切磋琢磨するだけでなく、人類の膨大な智慧を、孔子のような人物から学びとることを奨励します。さらに、若者は、自らの周辺から、御手本となる人物(メンター)を探し出し教えを請うことが望まれます。

 大人は、成功体験、失敗体験を一杯持っています。特に、失敗経験は、大人が考える以上に若者に役に立ちます。大人一人ひとりが、若者と「養子縁組」をして、メンターとして育てることが、第三の国難に瀕している日本を救う人材を育てる一助になると思わずにはいられません。

(2011年3月27日)

コラムについて

キャリア開発に係るCMWメンバーによるコラムを毎月掲載しています。
三橋明弘氏による第1弾(全6回)に続き、第2弾は村井剛氏より寄稿いただいています。

過去の掲載分と寄稿者:
・第1弾(全6回)/三橋明弘氏 本文はこちら: 第一弾コラム

第2弾の寄稿者 村井 剛氏 プロフィール

 現在、淑徳大学国際コミュニケーション学部でキャリア教育を教えています。若者に、「人はやさしくなくては生きていけない。しかし、優しいだけでも生きてはいけない」と語り、だから、勉強しよう、本を読もう、人に会おう」と激励しています。

 これまで、試行錯誤の人生を歩んで来ました。成功より失敗が多くて、反省材料には事足りません。寝ている間に、背中を冷や汗が流れているように感じて、目が覚めることが時々あります(笑い)。

 同時に、「幸運な人間です」、と自信を持って宣言できます。代償を求めずに、無償の愛を注いでくれた両親。私の教育に対する投資は膨大な額です。ロサンジェルス郊外に住むアメリカの「母親」は、「剛、日本は地震で危険だから、厚子(妻)と一緒にロスに避難して来れば」と心配してメールをくれました。アメリカの母は、1971年に飯田橋の焼肉屋で偶然会った旅行者でした。自己の存在価値を確認することに葛藤したニューヨーク時代(1979-1986)に、母親のような存在になった方です。

 最高の幸福は、生涯の伴侶になる女性に出会い、三人の子供に恵まれたことです。生きる力は、家族全員からもらっています。ニューヨークのコロンビア大学で院生として、落第しないように24時間必死で勉強したことも、幸せな思い出です。

 今、私は、日本の両親、米国の「両親」、家族、友人、数知れない多くの人達から頂いた恩恵を、悩み多き人生を歩んでいる若者を応援すること、支援することで少しでもお返ししたい心境です。